「知」のソフトウェア
- 作者: 立花隆
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1984/03/19
- メディア: 新書
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立花氏の本はもういいやとだいぶん手放した。
これももういいやと手放すのだが、書き込みや何かはさんでいたりしないか点検のため、ぱらぱらとめくっていた。ちょっとだけメモをとってから送ろう。
- 聞くべきことを知っておくこと
「そういう風にあまりにも概括的、包括的な質問をされても答えようがありませんから、もうちょっと何をききたいのか、質問を具体的にしぼってくれませんか。どういう点についてどういうことをききたいんですか」
人にものを問うということを、あまり安易に考えてはいけない。人にものを問うときには、必ず、そのことにおいて自分も問われているのである。質問を投げ返されたときに、「問うことは問われること」という二重構造がはっきり表に出てくる。(略)プラトンの対話編がその典型だろう。
- 一に準備、二に想像力
- 鐘はたたき方次第
丁重にズバリ
語るに足るやつ
- 媚びと一人よがり
校正というのは、一般に考えられているように、原稿とゲラ刷りを照合して、原稿通りかどうかをチェックするだけの仕事ではない(それだけしかやらないおざなりの校正者もけっこういるが)。文章の文法的誤り、シンタックス的誤りから、意味不明の箇所の指摘までしてくれるものである。
難解な文章をありがたがる人が世の中には結構いるものだが、そういう人を問いつめてみると、たいていわからないからありがたがっているのであって、わかってありがたがっているのではない。ヴィットゲンシュタインのいうように、「語り得るものは明晰に語り得る」のである。難解な文章の筆者は責めらるべきなのであって、賞めらるべきではない。
- ある噦整理マニア器の悲喜劇
「開いたしつもん」を心がけるのだけれど、そのときでも、あたっているかわからないゲッシングはあるし、ときとしては、変わらないことを手伝う質問をしてしまう危険もある。それから、問うことの目的。この人の場合は、主にインタビューについて。
某学会誌の編集幹事をしていて、校正もしなくてはならないが、まったくもう、おざなりの校正者をしている私であることだ。内容はほとんど読み通しもしないで、誤植のチェックしかしていない。かつて、これぞプロ、とうなるような校正に出会って感銘した。専門書の質は、その一部を校正者に負っているだろうと思った。
さて送ろう。ではさようなら立花さん。