うつくしき誤解。 一瞬、いいえ、そうではなくて実際には、現場では、と言いかけて、口をつぐむことにした。 ふうん、あなたはそう思い込まれますか。とだけ眺めて、何も書かない、何も言わないことにした。 「no response」と言う、という応答−レスポンス−…
非常におかしな習慣があったひとりの男について聞いたことがある。 (略) それで彼は行った。そして彼は三か月後に戻ってきた。彼は前より良くなっているようだった。パブのオーナーは尋ねた。「どこか精神分析家のところへ行ったのかい? 三か月間姿を見せ…
私が低い次元の力に対して閉じなさいと言うのは、闘うのではなく気づいていなさい、という意味だ。闘えば低い次元にとどまり、倒錯してしまう。それはさらに悪い。その時、あなたは自然でさえもない。あなたはとり憑かれる。 誰かがあなたに腹を立てた時は、…
お遍路で、いちばんあしの遅いひとが全体を支配する、と聴いた話はどこかで記した。 いちばん無責任に文脈を無視する人、いちばんじぶんの正義?を無神経に押し通しても平気な人が全体を支配する、ということもあるようだ。 お遍路では、先達が調整をして、…
このごろはトレーニングづくめワークづくめだ。 動けるときに。動けるうちに。 少し前に「ああ、もうワークはいいや」*1と書いたことがあった。 それなのに。 いや、それだから。 どっぷり暮らして、はたらいて、今がある。 今の切迫。今来る流れ。 *1:id:ne…
黙っているのなら 黙っていると言わねばならない 書けないのなら 書けないと書かねばならないそこにしか精神はない たとえどんなに疲れていようと 一本の樹によらず 一羽の鳥によらず 一語によって私は人 「谷川俊太郎/朝のかたち」より
新聞から切り抜き ベランダの小松菜を照らす朝日のようにひたひたとみんなの心に入り込んでいる (3.30 相談室 明川哲也) 「人間の弱さを言い当てている」 おだてられてその気になったり、お呼びでないところに出てしまったり、あげくには、ハイそれまでよ…
「おとなの小論文教室」のバックナンバーを読んでいた。 witnessに逃げる、そして、アサーティブな批判、に関連して 批判のサイズ: 「丘から見下ろすな、 まともに相手の言っている内容にはまって、もがけ」 丘から見下ろす人は、その内容に正面から入って…
瞑想リトリート。 休憩時間の雑談のなかで、ある人が、ある別の人について「witnessに逃げるし〜」と言った。 そうそう、とそのときの文脈ではとても腑に落ちた。 目撃者の位置に居て、現場に居ない人。−−雑に言うとそんなふうに腑に落ちた。 ところでそう言…
瞑想グループの感想を書く。 主催者の呼びかけにレスポンスして、それぞれの参加者が書いて、分かち合う。 これまで、その場で口頭でシェアすることはあったけれど、 いつもはこのような体験は、あとから文にして表現するようなことはしないできた。 書いて…
『子どもは判ってくれない (文春文庫)』から (略)包括的に「正しいこと」を言う人は必ずしも個別的・具体的な局面において「適切な判断」を下す人ではないことを私たちはみんな知っているからだ。 そういう局面で「適切な判断」を下す可能性が高いのは、(…
『子どもは判ってくれない (文春文庫)』より いかなる答えを以てしても、問いかけを鎮めることができないことが予測できるとき、人間は絶句する。それは単純な沈黙とは違って、重苦しく、私たちの生気を蝕む種類の沈黙である。 しかし、このような「絶句」状…
今月、いちにちじゅう家に居る日は今日だけだ。 じつはプチ旅の予定があったのだが、ヤボ用の予定がはいりそうになり、 私用の旅をキャンセルしたら、こんどはヤボ用のほうがキャンセルになってしまった。 なんだかなあ。 ともあれ、少しだけ片づけものがで…
同じ号からメモ 困ったな、どうしたものかしらと私はビジネスホテルの真っ白い天井を見上げては考えた。(『デッドエンドの思い出』よしもとばなな) 歩いていると、ついてくるものがあった。 からっぽになっちゃった。 つぶやく。 けれど、からっぽのところ…
AERA 07.3.26号 現代の肖像 為末大 自分のためのメモ: 自分の身体ときっちり対話ができる 何事も限界まで追求する生き方をしてきた 跳ばない宣言に納得する 「なにをしたいのか」「それはなぜ、するのか」「すれば、どういう結果が期待できるのか」 自分の…
咳はまだ続いている。 それでも、とまっている時間があって、だいぶんマシになった。 4周年か、と書いたけれど違った。 14年くらい前のあるときにも、咳がとまらないでいたのを思い出した。 ふうん、相変わらずなんだ。 これもまた、鞭打つようにではなく、…
すぐれたリーダーのもとで瞑想をする。 すぐれているかどうかなどわからないで参加したのだけれど とことん瞑想して暮らしているひとなのだ、と共に居るすこしの時間でわかってくる。 オーラというのだろうかつくりだすふんいきで、ふるまいで、起こってくる…
咳き込む日々が始まった。 このところ毎年。 クスリで手が震えていたのは2004年だったから、4周年か。 また長丁場かな。咳するのにけっこう筋肉を使うようで、だんだんと疲れて痩せてくるのだった。 とまあ備えあれば、それなりにこんなカラダとつきあえる…
で、またやってきたテーマはこんなこと。 こんどはもっと意味をもつ。 せっかく年をとってきたのだから急がずにかかえていよう。 安楽椅子の思索家になんかなるのではなく、いつも現実に動くなかで。
昨日引いた2001年のウェブ日記をじぶんで読み直してみると、レヴィナスさんの話にもひっかかっているし、保坂和志の小説にもひっかかっている。今ごろになって他のつながりであらためて気になっているのだけれど、呆れるとともに、そういうものだな、とも納…
iPodに入れた「千の風になって」を聴いてぐちょぐちょに泣いてしまう。 バスに乗っているのに。ダメダメ。 はずかしいので風邪ひいてぐずぐずのふりをする。 あるいは、泣きそうなのを必死にこらえて、怒っていると誤解されたりもする。
じぶんの過去日記を検索していたら、2001年6月に、今日買おうと思った本を既に読んでいたことと、同じころにレヴィナスさんの引いたエピソードを既に読んでいたことがわかった。 あらまあ。全然成長していない私。 というより、退化しているかも。 そのころ…
宅配の受け取りのため、夕方から家に居た。 夜に外出していないなんて、1カ月ぶりくらいじゃないかしら。 洗濯をして、紙類や郵便物を仕分けて、家でごはんを食べた。 そんな"ふつう"の生活もしていないなんて。 週に2,3日はすぐに家に帰って暮らそう…暮…
朝と夜とに、NHKの番組のなかで「千の風になって」という曲を聴いた。 しみるうた。 及川恒平氏の「いのちかえす日」*1もしみるうた。 もっと知られてよいのでは。 *1:http://www.satowa-music.com/cd/cd-kohe.html
ある人のブログに登場するカフェがよさそうなので、行ってみようと思った。 夜中にしばらく迷って見つけ出した。 なるほどね。 ある種のひとたちは好きかもしれない。 ある種の若者と、ある種のオジサンは。 不味くはないのだけれど、居心地はよくはなかった…
島の港でバスを待っていると、犬の散歩ふうのおじさん(おじいさん?)が、 「あっちまで行って見たらいいのに」と桟橋の方の作品を指した。 しばらく障りのないおしゃべりをする。 「あげるよ」と夕焼けのデジカメプリント写真をもらった。 お礼を言ってそ…
直島の南寺へ。*1 James Turrell氏の作品空間。 昨年の同じ時期に来て、ふたたび。 はじめのときのおそろしさはない。 真っ暗闇なのに、どこかで、わかってるもんね、と安心しているのがわかる。 全く別の体験であるかもしれないのに。 見えてきても、ふしぎ…
もし理解しないなら、それは彼らの問題であり、私の問題ではない。 もし誤解すれば、それは彼らの問題で、彼らの惨めさだ。 Osho もし私が助けたら、古いものが続くだろう。 すべての助けは、古いものを助けることになる。 すべての助けは、古いものを存続さ…
週に2日、2つの、カラダのつかいかたのおけいこに通っている。 その理論も方法も気に入っているのだけれど、それだけでは続かない。 教えているひとが、その教えるようにカラダをつかっているのでなければ、その理論と方法をじっさいに身につけていて、そ…
もしあなたが自分の悲しみを祝祭に変えたら、そのときには、あなたは自分の死を復活に変えることもできる。 だから、まだ時間があるうちに、そのアートを学ぶがいい。 Osho YOGA : THE ALPHA AND THE OMEGA, Vol.4, pp.252-254 いつだっただろう、どんな文脈…