2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧

じぶんのために分かち合う

瞑想グループの感想を書く。 主催者の呼びかけにレスポンスして、それぞれの参加者が書いて、分かち合う。 これまで、その場で口頭でシェアすることはあったけれど、 いつもはこのような体験は、あとから文にして表現するようなことはしないできた。 書いて…

「正しい意見」

『子どもは判ってくれない (文春文庫)』から (略)包括的に「正しいこと」を言う人は必ずしも個別的・具体的な局面において「適切な判断」を下す人ではないことを私たちはみんな知っているからだ。 そういう局面で「適切な判断」を下す可能性が高いのは、(…

呪いのコミュニケーション

『子どもは判ってくれない (文春文庫)』より いかなる答えを以てしても、問いかけを鎮めることができないことが予測できるとき、人間は絶句する。それは単純な沈黙とは違って、重苦しく、私たちの生気を蝕む種類の沈黙である。 しかし、このような「絶句」状…

ぽっかりと家に居る休日

今月、いちにちじゅう家に居る日は今日だけだ。 じつはプチ旅の予定があったのだが、ヤボ用の予定がはいりそうになり、 私用の旅をキャンセルしたら、こんどはヤボ用のほうがキャンセルになってしまった。 なんだかなあ。 ともあれ、少しだけ片づけものがで…

自分をちょっと力づけてくれるような「しかけ」は、もっていていい

同じ号からメモ 困ったな、どうしたものかしらと私はビジネスホテルの真っ白い天井を見上げては考えた。(『デッドエンドの思い出』よしもとばなな) 歩いていると、ついてくるものがあった。 からっぽになっちゃった。 つぶやく。 けれど、からっぽのところ…

身体と対話ができる

AERA 07.3.26号 現代の肖像 為末大 自分のためのメモ: 自分の身体ときっちり対話ができる 何事も限界まで追求する生き方をしてきた 跳ばない宣言に納得する 「なにをしたいのか」「それはなぜ、するのか」「すれば、どういう結果が期待できるのか」 自分の…

14周年かな

咳はまだ続いている。 それでも、とまっている時間があって、だいぶんマシになった。 4周年か、と書いたけれど違った。 14年くらい前のあるときにも、咳がとまらないでいたのを思い出した。 ふうん、相変わらずなんだ。 これもまた、鞭打つようにではなく、…

傷口をはがすのではなく

すぐれたリーダーのもとで瞑想をする。 すぐれているかどうかなどわからないで参加したのだけれど とことん瞑想して暮らしているひとなのだ、と共に居るすこしの時間でわかってくる。 オーラというのだろうかつくりだすふんいきで、ふるまいで、起こってくる…