試験紙

ある人のブログに登場するカフェがよさそうなので、行ってみようと思った。
夜中にしばらく迷って見つけ出した。
 
なるほどね。
ある種のひとたちは好きかもしれない。
ある種の若者と、ある種のオジサンは。
不味くはないのだけれど、居心地はよくはなかった。私には。
どこかスノッブなのだ。
私だってスノッブ層の一員なのかもしれないけれど、こういうのとは違う。
 
空気の違い。お作法の違い。
こういう店を好きになるひととは私はおともだちにはならないだろう。
しごとならだれとだってするけれども、それとは別の話。
 
いつも行く店が、私がどうしていつも行きたくなるのかもわかった。収穫。
庶民的で賢明な(さかしいのとはちがう)おばちゃんやおじちゃんがいたり
あつくるしくないサービスがあったり
まったくほうっておいてくれるファストフード的なすずしさがあったり
と、書いてしまうと、だからなんなんだ、となってしまうけれど、
ある種の店がある。
そして、ある種の人たちがいる。
  
先週、直島の南寺のことを書いたけれど、たとえば、あの空間から出て、
ん。と黙って一緒にいられるような人とはおともだちになれるかもしれない。
面白かったねえ、とさわぐような人とは、世間話だけする距離でいるだろう。
試験紙。
ほかにも、ある映画とか、ある本とか、ある店とか、そういうものに対する態度で
"こちら側"と"あちら側"とが分かれるだろう。
 
いいとかわるいとかではなくて、ほどよく棲み分けられるのがいいと思う。
そうしてさまざまの違いを尊重しながらこの世ぜんたいのなかに共存できるのがいいと思う。
冒頭のようなある種の人たちにも、ふうん、いろいろよね、と思うだけで、それはそれでアリだと思う。
こんな私がアリでいさせてもらっているのと同じくらい。
 
これらはただ、プライベートで、選べるときは、という話。
もっとも、こんなことをいちいち断らないといけない人とは、そもそもじぶんからは近づかないけれども。