旧友

夜、高校一年のときだけ一緒だった同級生から電話があった。
「年賀状だけのつきあい」さえもなく、お互い、消息も知らなかった。
 
高校2年になるとき、彼女は他県に引っ越して転校した。先日、彼女がその転校先での友人と話をしていたら「○○高にいたのならもしやねこやさんを知らない?」という話になったという。その友人は偶々私の大学時代の親友なのだった。
私の連絡先までは聞かずにきたらしいが、こんどは、お母さまと話をしていて、偶々私の母の名前をきいて、もしやその娘が私では、と今日の電話に。
 
2つの偶然が重なって、数十年ぶりの縁だ。
電話でひとしきりわいわいと話をした。
1年間だけのつき合いだったが、私は彼女の面影をありありと思い出したし、彼女も私とのエピソードをありありと憶えていてくれた。
 
昨年から、高校、大学時代の友人たちと、20年以上を経ての奇縁が立て続けだ。
私からは特に動いてもいないのに。
どうしたんだろう。
 
それに、どうしたんだろう、当時のことが、たのしくて、めぐまれた彩りに思い出されてばかりいる。そのことに少し感動している。
最近まで、高校時代も大学時代も、楽しく思い出せる時期ではなかった。…はずなのだった。身体の不調。不本意な進路。封印したいような思い出だった。…はずなのだった。
 
回想は現在作られるものだ、とは、よく知っていたはずのことで、ちょこちょこと体験もあったのだが、奇縁が重なって懐かしい人たちが向こうからやって来てまでする。なにか意味あってのことのように。
 
そして、「善き友」とは違うが、共にあそび学び味方でいられる誠実で賢明な友人たちにも、これまでずっと、どんなにめぐまれてきたことだろうと、ありがたく思う今日なのだった。