きものの人

昨日の清子さんの披露宴でのきもの姿は、じつによかった。
きものも帯も上品な色調や材質で、最高の品であるだろうが豪奢ではなく、これみよがしではなくて、衿の具合も帯揚げも調和していて、体型もほどよいのだろうが、日舞のおかげか立居振舞も自然で、ほれぼれとした。
私などが言うのも僭越だけれど、格はあるにしても並袖のきものを、あんなふうに着こなせたら、そしてあのように場と時とに相応しい主張と調和を表現できたなら、人もきものも、きものに関わった人たちにも、最高だと思う。
 
 
全然レベルの違う話に飛ぶが、先日会った、ちょっとだけ年上のだいすきなともだちが、
「最近は、着物など着こなし、すっかり着道楽になっているではありませんか」
とメイルをくれた。
うれしかった。
すこしは着こなせているかな。
 
 
きものを着たときのあこがれの佇まいのようなものが、ある。
幸田文さんの写真にあこがれる。50代くらいだろうか、日常のきもの姿の。
姿はむしろどうでもいいけれども、その要素のようなものが、身についた私になりたい。
グレイスフル、それでいて、さっぱりとして、力のある
かなり遠いあこがれだが、そういうふうにめざして過ごすだけでも、すこしは近づいてゆけますように。

幸田文の箪笥の引き出し (新潮文庫)

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