Old Friends

大学に入った最初の一年間だけ、賄い付きの下宿に住んでいた。
いっしょに入った女子学生が7人いた。
学部もその後の進路もばらばらだったのだが、最近ふとしたことから、そのうちのひとりが連絡をとりあってくれて、きょう、近在の5人が集まって「同窓会」をした。
 
20数年ぶりだ。
きゃあ、変わらないねえ、と出会う。
女子大生がオバサンに、周りから見たら、変わってない、だなんて、あつかましいのだろうけれど。
  
秋晴れのひかりに照らされながら、おしゃべりしながら歩く。
私たちの通ったキャンパスを通り過ぎる。ちょうど学園祭。
下宿まで歩いて15分ほど、住宅街のなかの道をたどる。
整備されて変わったところ、学生時代のまま時が止まっているように変わらないところ。
陽ざしのせいばかりではないだろう、けしきが、ひとが、しずかにかがやいて見える。
 
昔住んだ下宿は、もう廃業されてはいたが、たてものは変わらずにあった。4畳のちいさな部屋。
下宿のおばちゃんも、思いがけずご健在。
厳しい門限のはなし、ひじょうに美味しかった食事のはなし、部活のこと、誰彼の思い出ばなし。
 
「帳面」と名づけたノートを、交換日記のように下宿人の間で回覧していた。
それをひとりが保管していてくれた。
19歳の私。私たち。ちょっとはずかしいような若さ。
私には、封印したいような、迷いの始まりの時代だったはずなのだけれど、肩肘張って背伸びをしたコムスメのようで可愛らしく、懐かしく。
 
あれからもう、いやおうなく倍の時間を生きた。
すでに子どもが高校生という人たちが3人。あと数年すると大学に入る。
もう、一世代が交代しようとしているんだ。
 
今の私たちは、親の介護のこと、しごとのこと、子どもの学校のこと、じぶんたちのこれからの生活のこと、そんなことの課題に直面するようになっている。
 
そんな話をしていたのだが、愚痴にならなくて、深刻にならなくて。
笑いもし、主張もし、どこか清々しく一緒に居られる。
人のせいにしないで、お互いの関心に関心をよせて、さりげない配慮とバランス。
じぶんの子どものことでも、とてもとても愛しくしているのだけれど、どこか客観的にも語るのだ。
これみよがしでなくほんとうに賢明な、レスポンシブルなひとたちなのだと思う。
 
私たちはこれからもそれぞれの居場所で、それぞれの生き方で、生きてゆくだろう。
しょっちゅう会えることもないだろうが、それでいい。
若いときの一年を偶々共にした「同じ釜の飯」の友人たち。私にはこんな友だちがいてくれる。
ありがたくて。うれしくて。そして誇りに思う。
元気で!