ミッションとパッション

市民運動家2題。
 
ひとつ。ミッションとパッション、あるいは、思い込みと暑苦しさ
 
きょうは、印刷等の作業のために、人権関係団体支援のための施設と、NPO,ボランティア団体支援のための施設とのふたつを巡り、利用していた。
 
いま関わっている活動の利便のために、これらの施設に団体登録をしている。そして地域の市民活動の一つとしてもねざしてゆけたらいいなという想いもあって、この4年間くらい、それら施設の利用者会議や交流会にも顔を出したりしてきた。
 
ここ*1にも触れられていて納得したのだが、まちづくりに限らず、こういった活動に精力的に関わる人たちって、ある種、情が厚くて、押しが強いところがある人がひじょうに多い、と思う。そうでもないと、稼ぎにもならない、たいてい手弁当の、お上からは提供されない、けれど社会にとって必要だと思うミッションをもって実働しないといけないようなことなんて、続けてゆけないのだろう、とも思う。
よく言えばそうだが、上記に触れられているように、そういう人に対するにじぶんのアサーティブネスが試されるような場面も多いように思う。きょうも、また。