principle of charity

そこまでのツワモノはさておき、たいていの場合には、すぐにはわからないと思われる人との間でも、コミュニケーションはとれる、そしてわずかでも違いを生むことができる、と信じる。
辞書や文法書のない、全く未知の部族の言語を、言語学者が理解してゆくときに、principle of charity という原理に従わなくては進めてゆけないのだと、読んだことがあった。
この考え方は役に立っていて、なんでそんなこと言うんだーという人や、なんでわからないんだーという人とつき合わなければならないときに、そしてふつうにもっとよく聴いてみようとしても歯が立たないときに、どうもこれは既存の辞書と文法書とは違う(だけ)なんだ、この独自の言語はどんなんだろう、と(おもてだって言いはしないが)関心を寄せて聴くことができて、どちらかというと楽しくさえつき合っていられることもある。
これも適応範囲を超えているのかもしれないし、逆に適応範囲を不当に狭めているかもしれないけれど。