こんな語り そんな語り
お茶の水の日曜日の朝。12月のこの時期にしては、おだやかな冷たさ。
銀杏のきいろい葉が散り敷いている坂道。冬のあかるい朝のしずかな古い文化的な街。
ふるくからの親友と久しぶりに会って、ふたりで教会を訪れた。
「元気で会えてよかった」と感謝の祈りをささげた。
それからコーヒーショップでおしゃべりをして、かるい昼ごはんを食べて
「また会おうね、元気でね」と言って別れた。
・・・と語るとき。
同い年の友だちが、ガン治療中であることがわかって、彼女に会いたいと思っていた。
今日、ようやく会えた。
「手術中に知らないうちに死ねるなんてうらやましいと思う」なんて話をした。
・・・と語るとき。
どちらも、今日の日記。
あるところでは、前者のように(だけ)私は語る。…ことに決めている。
そうすると、
読む人のいくらかの人との間では、「旧友に会えてうれしかった物語」がつくられる。
いくらかの人との間では、「お幸せでけっこうですね物語」がつくられる。
またいくらかの人との間では、「webでは無難なことだけを注意深く書くネコ物語」がつくられる。
・・・らしい、ということが、いくらかの人との間でしゃべっていてもわかってくる。
今ここではこのように語ろう、と選んだ語りだけを書いて、読んでもらっている。
選ばれなかったたくさんの可能性も、ある。