話を聴かない人

以前、チームではたらいたとき、責任者の方からものすごく怒られたことがある。
 
私は言われた通りのしごとを一所懸命にしていた「つもり」で、お役に立つことをしていた「つもり」で、それなのに、なぜそんなに怒られたり、味方であるはずの同僚からも讒言されたりするのか、いっこうにわからなかった。
わからないばかりか、怒ったり、恨んだり、悲しんだりした。
 
今になると、私はなんてことをしていたのか、はずかしくてちぢこまりたくなる。
 
何もしないのや、役に立たないデクノボーならば、得にはならないかもしれないが被害も少ない。
話をよくよく聴かずに「つもり」からばりばり動く輩は、まわりに被害をばりばり与えうる。
 
今さらだけれど、申し訳ない。そしてそんなにひどく迷惑を与えてしまったのに、年月を経て今の私をはたらく仲間にいれてくださっているひとたちに頭が上がらない。
 
「私」の「つもり」はあてにならない。ものすごく間違っているかもしれない。見当ちがいの「つもり」から動いたことがひとりにふりかかることならまだしも、まわりのひとたちに、たいせつなミッションに、そのタイミングでの優先課題に、被害をあたえてしまいたくない。今は、そう思う。
 
こんな思い込みで大丈夫かな、今はどんなときかな、今私にしてほしいこと(してほしくないこと)はどんなことかな、見て、聴いて、おしえてもらって、おしえてもらうことに時間を割いてもらえないかお願いしてみるかもしれない。気をつけているつもりが、いまだにポカをする。
 
聴かない とき、じぶんが 聴いていない ことにも気づいていない。
まず聴いてくれませんか ということすらも 聴いてはくれない人と、どうやって仕事ができるだろう。
ここでとまっているわけにはいかないのだけれど。